· 

「2018年春、Aqoursを応援し続けるからこそ自分なりに強く感じること(その3)。」

 ここまで、

 

 (その1)(一人のウィキペディアンとして、何故活動しようと思っているのか。)

 (その2)(「田所あずさ」が「マイブーム」になっている自分。また、『アイドルタイムプリパラ』に感動した自分。)

 

 について、言及させて頂きました。

 

 では、(その3)では、「自分自身がいま感じている、『Aqours』のメンバー、それぞれへの解釈。」について言及させて頂きたいと思います。

 

 

 ここでは、「Aqours」の個々のメンバーに対する、自分なりの解釈、評価を述べようと思います。

 ここでは、「現時点での」ではありますけど、自分の「ありのままの気持ち」を綴ろうと思います。

 細かい分析が、正直あまりできていません。本当ならば、この夏場くらいならば、もっと自分なりに分析できる状態で、とは思うのですけど。申し訳ないです。

 

 推しの度合いの順位でも、人気の順位でも、(声優としての)出演本数の順位でもありません。

 単純に、自分の中での(一人の人間、一人のラブライバーとしての)純粋な「評価順位」と解釈して頂きたいと思います。

 

 

 (図解10)自分が現時点で解釈している、「Aqours」のメンバー(担当声優)、それぞれへの解釈(あるいは、それぞれに対して、いま伝えたいこと)。

 

 

 (1)伊波杏樹(あんちゃん。高海千歌役)

 

 いわゆる「BIG3」の一人ですけど、それ以上に、「(Aqoursの)『絶対的エース』にして『絶対的リーダー』」。名実共に「チーム(グループ)の象徴」ですし、あんちゃんのいない「Aqours」はあり得ない、そういいきってよいほどです。

 

 これは、単純に一人の「表現者」(声優、歌手、いずれの面をもひっくるめて)としてでもなのですけど、それ以上に、一人の「人間」として、においてなのです。

 

 正直、Aqoursの結成当初は、あんちゃんへの負担(はっきり言えば、「一極集中」)が大きすぎないか、誰か、負担を減らせる存在が出てこないかと、実はとても不安でした。

 それは、あんちゃんの「素晴らしさ」「漠然と伝わる魅力」であるが故なのですけど、どんなに「エース」「リーダー」が素晴らしくとも、それがその「強烈な個性」であるが故に「ワンマンチーム」化してしまうと、いずれ「限界」が生まれてしまう、と危惧していたのです。

 

 ですけど、あんちゃんの「素晴らしさ」は、2017年2月の「1stライブ」以後、着実に発揮されていきます。

 1stライブの2日目、『想いよひとつになれ』での、りきゃこのアクシデントのときの効果的な励まし。

 2ndライブの西武ドーム公演、緊張しているすわわに、「一緒に頑張ろう」と寄り添う感じでの、素敵なデュエット。

 

 そして何よりも圧巻は、2018年2月、FMT台北公演。数日前の地震で重苦しい雰囲気の中で迎えた感じであり、Aqoursにとっても、少し前のFMT上海公演で「失意」を味わった状態で、ピンチといえる状況でしたけど、あのときの「真心」のあいさつ。もう、最高に「感動」でした。

 

 あの台北公演。同じ失敗は許されない(尤も上海公演自体、Aqoursのパフォーマンス自体はむしろ水準以上であったとは思うのだが)。最大のピンチをどう乗り切るのか、真価が問われる舞台で、「一人で局面を打開できる」その非凡さ。

 計算をして、そうしたのではない。あんちゃん自身の、内面的な自然の発露が、生み出した「奇跡」。

 

 その後のFMT幕張公演。自分はLV鑑賞ができなくて、自宅でTLを追うことしかできませんでしたけど、あいにゃの突然の負傷という大ピンチを、「一人じゃない、みんながついている」。

 後述にて言及するかなですけど、現実的な立ち位置として、あいにゃは、Aqoursのメンバーの中でも、「最大のライバル」になっていく(というか恐らく既にそうだろうと自分は解釈していますが)感じだと思うのですけど、決して「蹴落とす」のではなくて、認めるからこそ「尊重する」姿勢。

 

 なんというか、あんちゃんの素晴らしさは、「全体を俯瞰できる」ところなんですよね。

 いま、一人の人間として、何をするべきか。それは、一人の「表現者」としても、一人の「リーダー」としても、いずれの意味においても、それを的確に判断できること。

 

 「一人一人が、『エース』であり、『リーダー』である。」

 その「自覚」を持たせられている、それが伝わること。

 「Aqours」は、ステージを経験するたびに、間違いなく着実に成長できていること。

 「Aqours」という、「最高に素敵な『チーム』」。それを生み出せているのは、あんちゃんの「類稀なる』リーダーシップの賜物と思うのです。

 

 どうしても、ほとんどのリーダーは、「自分についてきて!」が、いつしか、ある種の「王様」状態になってしまうリスクが生じ得るのですけど、あんちゃんは、それを全く感じさせない。

 「自分についてきて!」だけではない。むしろ、「一緒に頑張ろう!」。

 一人一人のメンバーに、親身に「寄り添えている」。

 

 「人間、伊波杏樹」。この「奇跡の存在」に出会えていることに、とても感謝の想いなのです。

 

 

 大丈夫。あんちゃんを擁している限り、「Aqours」は、明るい未来が、希望が拡がっているはず。

 そう前向きな気持ちを抱ける感じではあるのですけど(ただし、あんちゃんの「人一倍の努力」だけではどうしようもない要素もあるのだが。そしてFMT上海公演の失意は、この「どうしようもない要素」が悲劇を引き起こしてしまった訳だが)、だからこそそれ故に、「不安」もあるのです。

 

 いつか、「バーンアウト」(突如として燃え尽きてしまう)に襲われてしまわないか。

 誰よりも人一倍、「優しい心」の持ち主であり、「使命感」(「責任感」よりもさらに深い感じ)の塊といってよい。これは、「人間として」は「とても大切なこと」であると思うのです。

 でも、だからこそ、いつかそれが「容量オーバー」にならないか。

 そこが少し、不安要素の感じとして抱いています。

 

 時折、SNS(ツイッター)で自分をうまく発信できなくなっていたりする場面が散見されています。

 (ある程度は、「ぶろぐる」ことでカバーはできているのですが。)

 つらくなったときは、一人で抱え込まなくていいよ。「助けて」って言っていいんだよ。

 そう自分は伝えたい、そう強く抱くのです。

 

 一人の「表現者」という目線でとらえた場合でだと、声優としてのスキルの非凡さは言わずもがななのですけど(正直、そのあたりは現時点では楽観視しています)、先日(4月15日)、品川グランドホールでの、自身初めての単独イベント。

 いずれ歌手としても勝負することは、間違いないだろうと思います。

 

 よく、「表現力」が強調される感じですし、実際、「Aqours」のメンバーの中でだと、「表現力」だけでいえば、「ナンバー1」と言い切ってよいと自分は思っています。

 ですけど、「歌唱力」も、自分は高い水準にあると評価しています(まあ、あいにゃという「すさまじい存在」がいるので、過小評価されがちになるのかもですけど)。

 

 あいにゃ、あいきゃんに次いで、歌唱力も「ナンバー3」にはある感じ。それが自分の評価です。

 単純な歌唱技術以上に、歌詞やメロディー一つ一つの解釈が上手と思っているんですよね。それと、「キャラ声」で歌い切れているところも含めて。

 

 あんちゃんを、これからもずっと応援し続けたい。出会えたことそれ自体が、「最高の誇り」なのだから。

 そのように、正直強く抱く感じです。

 

 

 (2)鈴木愛奈(あいにゃ。小原鞠莉役)

 

 いわゆる「BIG3」の一人。今年(2018年)の7月クールのテレビアニメ『邪神ちゃんドロップキック』で、自身初めての主演が決まっています(映画では、りきゃこが主演経験がありますけど、テレビアニメでは恐らく、あいにゃがAqoursメンバーで一番乗りの主演作品ゲットでしょう)。

 

 最大の魅力は、その「圧倒的な歌唱力」です。Aqoursメンバーとして「ナンバー1」なのは言わずもがなですけど、自分はその歌唱力はもはや、

 

 「J-POP一本で考えても、既に高いレベルにあると思う。少なくともアニメソングの世界でだと、『水樹奈々の領域』に到達できる貴重な存在。本人が望むならば、そして巡り合わせも出てくるだろうけど、少なくとも『日本武道館』『横浜アリーナ』、いや、『SSAスタジアムモード』『西武ドーム』まで到達し得る潜在能力は充分にあると思う。

 少なくとも現時点においてでも、『アニサマ2014でのナンジョルノ(南條愛乃。自分は「μ’s」メンバーでナンバー1の歌唱力の持ち主と思っている)』との比較で、既に『同等以上』(タイプが異なるので単純比較はできないが)と強く思っています。」

 

 それくらい、自分はその歌唱力は「アニメソングの世界では、既に最高レベルに限りなく近い」と考えています。

 だって、いくつかの楽曲を聴くだけでも、それは充分に証明できていると思うのです。

 

 

 「G線上のシンデレラ」(3年生楽曲。2ndの西武ドーム公演で披露された)

 「少女以上の恋がしたい」(3rdシングル[HPT]のカップリング曲の一つ。2ndで披露された)

 「Daydream Warrior」(2ndで初披露されたが、「盛り上がり曲」の一つになり、T-SPOOKなどでも披露。)

 

 いま、3曲を挙げましたけど、それ以上に、あいにゃの「すごさ」を、この1曲だけで充分にわかって頂けるはず、という楽曲を3曲挙げます。リンクを貼ります。

 

 

 [1]「サンシャインぴっかぴか音頭」(YouTube。振付動画。特に「3:15~3:30」。)

 (https://www.youtube.com/watch?v=PRttl820kN0)

 

 [2]「Gulity Eyes Fever」(YouTube。新宿ユニカビジョン。ただし一部「害悪奇声」に留意。)

 (https://www.youtube.com/watch?v=A9OA6El1JNg)

 

 [3]「New windind road」(YouTube。鞠莉ソロ曲。視聴動画なのでshort verなことに留意。)

 公式による(https://www.youtube.com/watch?v=-EKACRpqOJc)

 歌詞付き動画(https://www.youtube.com/watch?v=onKIO9dO0OM)

 

 

 あくまでも、「鈴木愛奈」名義ではなくて、この場合、「小原鞠莉」名義です。

 キャラ声で歌わねばならないので、ある程度成約は出てしまいます。それでいて、このクオリティーです。

 

 よく、「口からCD音源」と言われますけど、あいにゃのすごさは、「私、上手でしょ?」が全くないんですよ。「気が付いたら、魅了されてしまった」、いわば、そんな感じ。それでいて、「これから、どこまで伸びるんだろう?」という、ある種の末恐ろしさです。

 

 歌唱力の「圧巻さ」について、いま言及しましたけど、自分は「表現力」も高いレベルにあると思っています。より細かいところは、できれば、主演作の『邪神ちゃん』を見た上でできればとは思うのですけど(尤も絵柄的には、許容できる「ぎりぎりライン」な感じっぽくもありますが…)、少なくとも、「小原鞠莉」を演じ切るには、トーン、音質の使い分けとかで、高い技術レベルが求められると思うのです。それができている時点で、表現力だって「既に非凡である」と思うんですよね。

 

 で、技術的な素敵さも然りなのですけど、あいにゃが、評価順位で既に高い位置にあるとみなす大きな一つの要素として、その「優しさ」があります。

 1stライブの2日目、『想いよひとつになれ』でのアクシデント。

 

 「大丈夫、大丈夫、大丈夫、大丈夫。もう1回やろう、もう1回。大丈夫、絶対大丈夫、大丈夫。」

 

 記憶が正しければ、ですけど、りきゃこへのこの言葉。

 文字に起こすと、上記のような感じですけど、あのときの、一つ一つの「言葉」、そして言葉に現れない「息遣い」。

 

 「はっちゃけ屋」「おじさん」。よく、そういわれます。

 確かに、いわゆる『リーダータイプ』かといわれると、少なくとも現時点では、そうではない。

 

 だけど、いざというときに、あいにゃの眠っている「人間的な魅力」は、引き出される。

 本当は、「自分のこと以上に、周りの人間のことを誰よりも強く想える人間」。

 

 2017年10月、「T-SPOOK」が間近に迫っていたとき、「浦の星女学院生放送」で、ありしゃ(小宮有紗)が体調不良に陥り、明らかにつらそうにしていたことがあったかと記憶するのですけど、あいにゃが、そっと励まし続けていたんですよね。

 それが自分はとても嬉しかった。「T-SPOOK」で、ありしゃは元気そうな姿を見せることができたと伺いますけど、それは「あいにゃの励まし」の賜物といってよい、少なくとも自分はそう解釈しています。

 

 異次元レベルの「歌唱力」。非凡なレベルにある「表現力」。そして、周りの人間を大切にできる「素敵な人間性」。

 あんちゃんに決して遜色ない、こんなとても素敵な人間。あいにゃに出会えたこと、それ自体がとても嬉しい。

 

 

 惜しむらくは、あいにゃの、ほぼ唯一最大の課題(短所、欠点)として、「SNSでの発信能力の拙さ」を感じます。

 もっと「自分」を出して欲しい。そう強く抱くのですけど、現状、ツイッターはよくも悪くも、ほぼ「宣伝垢」状態です。声優アーティストとして「最高の高み」を目指せる貴重な超逸材だからこそ、これは大きな課題と自分は思っています(「いい選手」でよいならば、いまのままでも問題ないのですけど、合いに屋に求められている領域は、「いい選手」よりも何段階も上の領域ですので)。

 

 下手でもいいんですよ、「自分の言葉」で、ありのままの気持ちを、自分はこういう人間です、というのを発信できれば。

 例えば、「μ’s」でいえば、内田彩さん。他の女性声優だと、竹達彩奈さん。

 この2人は、実にツイッター(SNS、ブログ)の使い方がうまいと感じています。

 (実際、内田彩さんについては、ツイッターでの「言葉の力」が、「推し」の度合いを高める大きな要素になった感じですし。)

 

 とはいえ、FMT札幌公演で、すわわが、あいにゃの好きなところについて「全部」と述べたこと。

 それは、それほどに、あいにゃが最高に素敵な「人間的魅力」の持ち主であるから、と自分は思います。

 

 出会えて有難う。これからもずっと、大好きだよ。そう強く抱く感じです。

 

 

 (3)逢田梨香子(りきゃこ。桜内梨子役)

 

 いわゆる「BIG3」の一人。昨夏(2017年8月)からスタートした、映画『くまのがっこう』シリーズで、主人公のジャッキー役をつかみました。自分も鑑賞させて頂きましたけど、話の内容も素敵だし、りきゃこの「表現力」も、「ジャッキーがりきゃこで、最高に嬉しいよ」と感じましたので。

 

 いま述べたように、りきゃこの最大の魅力は、「卓越する表現力」です。「表現力」単体でいえば、あんちゃんに決して遜色ない、自分はそう強く感じます。特に「情感」の表現が素晴らしいんですよね(これは、梨子ちゃんの演技でも示されているといえるでしょう)。

 もともと子役出身と伺っていますけど、表現力はそれがベースになっているのかな、と。あんちゃんにもいえますけど、吹き替えで高いレベルで勝負できる(いわゆる洋画だけではなくて、韓国ドラマという活路だって近年はある訳で。むしろ洋画よりは韓国ドラマの方が合うかなと個人的には思ってますが)、それのみならず、映像や舞台でも勝負できると自分は思っているんですけどね(勿論、あくまでも本人が望むならば、の話ではあるけど、「芝居全般」で勝負できる存在になって欲しいのが、自分の正直な願いです)。

 

 表現力の卓越ぶりもですけど、自分は「歌唱力」も、水準以上はある(歌手志望組3人[あいにゃ、あいきゃん、きんちゃん]+あんちゃんには、さすがにやや見劣りかもだけど、それに次ぐレベルは既にあると思っている)、と思っています。

 より厳密には、純粋な歌唱技術はともかくかもだけど、それを充分に補って余りある「表現力」でカバーできている、それだってれっきとした「技術」だと思うんですよね(「μ’s」でいえば、内田彩がこのタイプ。飯田里穂もこれに近いタイプといえるかも)。

 

 それと、りきゃこの魅力の一つとして、「Aqours」では、ありしゃと「2トップ」といえる、「素敵なルックス」(ありしゃとは、ルックス的な魅力のタイプが異なるので、どちらが素敵かは単純にはいえないと申し添えさせて頂きますが)。愛らしい顔立ち、穏やかな笑顔。自分も辛いときとかに、りきゃこの歌っている場面なり、グラビアやインタビューを読むと、不思議と元気になれますから。

 

 SNS(ツイッター、インスタ)での発信能力の高さも、りきゃこの「大きな持ち味」の一つと思います。

 セルフプロデュースが上手い。あいきゃん、ありしゃあたりとの積極的な絡みも、個人的には大好きです。

 

 

 そのような感じですけど、りきゃこにも、課題(短所、欠点)として感じていることがあります。

 時折、(本人は悪意はないとは思うのだが)「言い方に『けんがある』場面が散見されている」ことです。これは、ライブでのMC時や、webラジオ(Aqoursとして)のときに、ということですね。

 「けんがある」というのは自分の言い回しであって、「とげがある」と言い換えて頂いてよいかな、ですけど。

 

 ユーモアを交えたいというのは、悪いことではないのです。だけどユーモアが通じない人間も、中にはいる訳で(というか実は自分が、「ユーモアが全く通じない人間」なのですが)。

 ユーモアなり、あるいは他のメンバーを「いじる」のも、ほどほどにしよう(FMT意向は、改善傾向にあるとは思っています。これは、自身でwebラジオ番組を持つようになって、自覚が芽生えてきたことが大きいのかな、ですけど)。でも、りきゃこならば、これは克服できると自分は信じています(というか信頼できているからこそ、自分だって、りきゃこへの「推し」の度合いは、わりと高い部類である訳でして)。

 

 もう一つ、Aqoursで最年長なのだから、もっとリーダーシップを、という意見もあるかもですけど、それについては、無理をする必要はない、表現力の面で「背中でついてきて」で充分大丈夫だから、と自分は思っています。FMTのラストである幕張で、MCを任されたことは、自覚をより促す一助になっていると思いますし。

 ほんとうは、りきゃこは「温かい人間」であるはず。あのとき(1stライブ)で、みんなが支えてくれたのだから、自分も「思いやり」を大切にしよう、それができる人間だと自分は信じていますので。

 

 これからも、温かく応援し続けたい。一人の「表現者」としても、一人の「人間」としても。

 大きな高みに到達できる存在だと思っているから。自分は、そう思っています。

 (恐らく「ソロ歌手デビュー」もいずれするでしょうけど、1stライブ2日目の『想いよひとつになれ』で、ステージにいた4人、つまり、「りきゃこ、あんちゃん、あいにゃ、すわわ」は、「ソロ歌手」個人として「横浜アリーナ」のステージに立つ、それが強い願いですので!)

 

 

 (4)小宮有紗(ありしゃ。黒澤ダイヤ役)

 

 個人的には、「BIG3」と決して遜色ない、表現力を中心に「総合力に優れる」貴重な存在と考えています。

 やはり、女優出身であるからか、「魅せる術(すべ)」を熟知している。

 個人的には、(あくまでも、「本人が望むならば」になってくるかなですけど)「『映像』と『アニメ(吹き替え)』の架け橋役」に慣れる存在である、と自分は思っています。

 

 というのも、後述にて言及できればと思うのですけど、一つは、声優はもとは俳優の一分野から成立した経緯があるから、ということ。

 また、近年は(特に実写映画で)「漫画が原作の映画」が、年々増加傾向にあるんですよね。

 自分が見た作品でも、「ヒロイン失格」「プリンシパル」「君の膵臓を食べたい」など。

 アニメ版と実写版が「全くの別物」になるのは、自分はよくないことと思っているのです。それぞれ、アニメ、実写だからこその良さを出しつつ、その作品に流れている「根っこの要素」はちゃんとつながっていて欲しい、そう強く願うんですよね。

 

 そのためには、「声の芝居」「全身の芝居」の両方を、高い次元でできる人間が、少なくとも1人(個人的には複数人は必要と思っていますが)は必要と思う。しかし現状は、そのようにはなっていません(「映像」とは何のためにあるのか、わかっている人間がどれほどいるのだろうか…)。

 だからこそ、ありしゃには、そのあたりを期待したいですし、それができる存在であると、自分は思っているのです。

 

 少し話を脱線させたかもしれませんけど、ありしゃの魅力は、やはり、「オールラウンダ―」であるところと思うんですよね。ただそれは、「器用貧乏」であってはいけない、と思っていて。何か一つ、きらりと光るものがあって欲しいと思うんですよね。

 

 既に、単独イベントを経験していると伺っています。ということは、いずれソロ歌手デビューをするのでしょう。ただ、もしも歌手としても勝負するならば、生半可な気持ちではやって欲しくない。

 「Aqours」のメンバーの場合、歌手一本、あるいは歌手に大きなウェートを置いて勝負することを示唆しているメンバーが多くいると感じていますけど、その意味で、どのようなビジョンを描いているのだろう?と思う部分が、正直あります。

 

 

 とはいえ、ありしゃには、個人としての魅力として「表現力」「グラビアが映える」があることと共に、Aqoursにおいても、大きな役割があると自分は思っているのです。

 

 自分は、Aqoursの「最大の課題の一つ」に、「あんちゃんの負担をどうやって軽減できるか」があると思っています。

 プレー面では、あいにゃ(特に歌唱面)、りきゃこ(特に表現面)が、軽減する役割を十分に果たしつつあります。

 ですけど、精神面のことです。あんちゃんは、人一倍の責任感の持ち主と感じています。自分のことよりも、メンバーのこと。それ自体は、「人間として」とても素晴らしいことと強く思う。

 でも、すべてを抱え込むと、いつかあんちゃんが「壊れてしまいかねない」。精神面であんちゃんの負担を軽減できる存在、それがAqoursには最も必要なんだ、と思っているのです(本当は、それこそ、りきゃこに求めたいのだけど、りきゃこは「背中で引っ張るタイプ」であり、それはある種持って生まれたものが大きいので、ある種仕方がない)。

 

 その意味で、ありしゃには、あんちゃんを「精神面で」特に支えて欲しいと思っているのです。

 Aqoursの中で、最も経験が豊富であるから、それもあるのですけど、いざというときに、「場を引き締められる存在」、それができるのは、ありしゃこそ最適任と思っているんですよね。

 スクフェス感謝祭2017、閉会式のときに、その一端が垣間見られていましたけど(あんちゃんは、よくも悪くも心が優しいところがあり、あのときはそれがマイナスに作用してしまっていた。勿論、優しさは、本来は人間として最も大切な要素なのですけど)、「優れたチームは、優れた参謀役がいてこそ」、そう自分は強く思っているんですよね。

 

 「μ’s」では、プレー面での「BIG3」(ナンジョルノ、うっちー、みもりん)に加えて、そらまるという「精神的支柱」、りっぴーという「マスコット役」が、絶妙なバランスを生み出す大きな原動力になっていたと思うのです。だからこそ「μ’s」は、「最高のチーム」を具現化できた。

 

 その意味で、ありしゃには、「精神的支柱」としてを大いに期待したいと思いますし、それができる存在であると思うから、応援するのです。

 あ、それと、グラビアでも存分に活躍して欲しいこと、及び、「真夏は誰のモノ?」での、ふりりん(あいあい)との、息の合った感じ、いつまでも、役(黒澤姉妹。ダイルビ)でも、素顔(一人の人間として)でも、素敵な絆を深め続けて欲しい、そう強く抱きます。

 

 

 (5)降幡愛(ふりりん[あいあい]。黒澤ルビィ役)

 

 「Aqours」では貴重な「個性派」です。これは、もとの声質の「独特さ」もですし、「黒澤ルビィ」役に求められる独特のスキルが、よりそうさせている部分もあるでしょう。

 ツイッターで時折アップする、素敵なイラスト。クリエーター志向を伺わせるところ。それも、「個性派」テイストをより一層際立たせるのかもしれません。

 

 いろいろな意味で、ある種の「名誉別枠的存在」なのです。「歌唱力」について、いろいろな解釈が聞こえてきていますけど、自分は、単純な既存の解釈で測れるようなものではない(そもそも「表現すること」において、例えば野球の「セイバーメトリクス」のような、統計的な考え方で単純に測る、比較することは不可能といえる)、そう強く抱くのです。

 ですけど、少なくとも、「歌唱力」が水準以上のレベルになければ、Aqoursの、長丁場のライブを最後まで「スタミナ」を保ち続けることは、あるいは、クオリティー(歌唱の質)を落とさずにやり遂げることは、恐らくできないと思うのです。

 

 ですけど、少なくとも、一つはっきりといえることがあります。

 「表現力」「プロ意識」は、「Aqours」の中でも最高レベルにあること。「プロ意識」というのは、「目に見えない人一倍の努力」をも含めてです。

 もっといえば、「Aqours」で「最も過小評価されている」メンバー(担当声優)であると思うのです。

 

 映像(実写)の世界で、「個性派」「怪優」と称される役者さんが、何人かいます。

 本田博太郎さん、清水紘治さん、嶋田久作さん、田中要次さん、相島一之さん、等が挙げられるかなと思いますし、女性でだと、大島蓉子さん、阿知波悟美さん等が該当し得るかなと思いますけど、ふりりんって、そういった存在に相通ずる感じがするんですよね。

 

 どういうことかというと、「個性派」「怪優」というのは、「この役者だからこそ成立し得る役」「この役者にしかできないであろう役」ができる人間、ということであると思うのです。いわば、この「怪優」がいないと、作品自体が成立しなくなる、みたいな。

 で、そういった演技って、独特の高いものが要求されると思うのです。求められる技術は、主人公(主演)とは、また異なってくるのかなとは思うのですけど、でも、主演と同等〈あるいはそれ以上〉の「卓越した表現力」がなければ、務まらないことには変わりはないはず。

 

 その意味で、ふりりんの持っている「表現力」は、自分は、あんちゃん、りきゃこと決して遜色ない、むしろ、視点によっては上回っているかもとも言えるのでは、と自分は思うのです。

 

 恐らく、「声優」一本、あるいは「声優」と「クリエーター」の両立(ナレーションの才能も感じるので、それも視野に入れる感じになるのかな、と想像ですけど)、のいずれかかな、とは思うのですけど、「ふりりんらしく」、何よりも特に、そう強く抱く感じです。

 『フォトテクニックデジタル』での連載記事、「降幡写真工房」、これからも、楽しみに拝読させて頂きたい、と思っております。

 

 

 (6)諏訪ななか(すわわ。松浦果南役)

 

 「努力の人」。いつだって何事にも全力で一生懸命。裏表がなくて、周りの人間のことを想える。

 必ずしも目立つ感じではないかもしれない。でも、本当はとても「優しい」人間。

 それは例えば、1stライブ2日目の『想いよひとつになれ』で、示されているといえるでしょう。

 

 それでいて、「ななあいにゃ」の名コンビぶり。

 よく、「百合営業」と言われますけど、自分はそうは思いません。

 まあ、これは自分の想像ですけど、「すわわ」が「あいにゃ」のことが「大好き」なウェートが、特に強いのかな、とは感じていますけど。

 

 ですけど、「すわわ」が「あいにゃ」の「好きなところ」について、「全部」と回答したことは、「ありのままの気持ち」と強く抱きますし(と同時に、「あんちゃん」を人間として尊敬していることも、これもまた正直な気持ちであろうことが伝わってきますけど)、また、「あいにゃ」が「すわわ」の「好きなところ」について、「英語が得意なところ」、これも真であるよね、強く抱く感じとしてあります。

 

 そう。すわわって、決して人前には見せようとしませんけど、何事にもいつも「150%」(いや「200%」?)の感じで取り組む(ぶつかっていく)感じが、とても伝わるんですよね。これは、インタビューにおいても強く滲み出ている感じとしてあって。

 だからこそ、自分も、「すわわ、大好きだよー!」なんですよね。もう、「推し」の度合いが特に強い一人ですし、それはこれからもずっとそうであると思う、そう強く感じています。

 

 

 ですけど(だからこそ、でもあるのですが)、いま自分は、すわわに対して、「強いもどかしさ」を正直感じています。

 

 「すわわの持っている潜在能力は、こんなものじゃないんだ!もっと素敵な才能、持ち味が、きっとあるはずなんだ!だけど、いまのすわわは、持っている潜在能力の『30』でさえ、出し切れていない(いや、『10~20』くらいかもしれない)。こんなものじゃないんだ、あんちゃん、あいにゃ、りきゃこの『BIG3』と同等クラスの潜在能力はあるはずなんだ!」

 

 そう。はっきり述べます。いま、すわわの評価順位について、6番目に記載させて頂いてますけど、持っている潜在能力に対して、現在どれほどアウトプット(表出)できているかという意味でだと、「申し訳ないけど、ぶっちぎりで9番目(最下位)」であると思っています。

 「ぼろくそ」に思われるかもしれませんけど、これが自分の正直な解釈、感覚です。ですけどそれは、自分はすわわの「可能性」を高く評価しているが故、であると思って頂ければなのです。

 

 「声の仕事に1年でも長く」、と述べています。独特の甘い声質を活かした、ナレーション方面は、特に大きな強みが発揮され得るかな、とは正直感じます。

 で、(恐らくそう遠くない将来での)ソロ歌手への挑戦の意向も、既に示唆済みです。大学でミュージカル、歌を学んでいたことは伺ってはいますし、「感受性の豊かさ」は、すわわの大きな魅力の一つと思いますので、ソロ歌手として輝いて欲しい、この思いは正直強く抱いています(先述のりきゃこへの評価の欄で言及したように、すわわには「ソロ歌手として横浜アリーナのステージに立つこと」が自分の強い願いです!)。

 

 「表現力」「歌唱力」のいずれも、自分は大きな伸びしろがあると思っているのですけど(ただ、どちらかといえば、より強みになり得るのは「表現力」になってくるのかな、と思っていますが。歌手として勝負する場合は、単なる「歌唱技術」よりも、「表現的な引き出し」をより前面に活かして、それを「歌唱の質の向上」へとつなげていくスタイルになってくるのかな、と自分は思っています)、勿論、「声優」「歌手」「ナレーター」としても成功して欲しいと強く抱いているのですけど、一つ、すわわの「持ち味」を活かし得る道として、挑戦して欲しいことがあります。

 

 「舞台」「ミュージカル」。

 

 独特の声質もですけど、自分は、すわわは「身体を活かした動き」「ステージ映え」に優れると思っていて(しゅかしゅーも、似たような持ち味を持っているのですけど、その中でも、しゅかしゅーとはまた異なる魅力がある、と感じているんですよね)、「舞台」「ミュージカル」だと、すわわの持ち味がより「生きる」と思うんですよね。

 まあ尤も、特に「ミュージカル」は、日本の芸能界の中でも、ほぼ「完全実力主義」が徹底されているので、一見向いていそうでも、簡単にできるものではない、とも伺うのですけど。

 

 ただ、少なくとも、「舞台」は挑戦した方がよいかな、と思っていて(朗読劇からでもよいと思う)。

 そこで「全身の芝居」「生きた息づかい」を体感することが、「声優」「歌手」としても生きてくるのでは、そうすれば、眠っている潜在能力が花開き得るのでは、自分はそう思っているのです。

 

 それと、「吹き替え」。あんちゃん、りきゃこは既に取り組み始めていますし、ふりりんも(本人が望めばですが)充分通用する感じとして映ります。

 ですけど、すわわこそ、この「吹き替え」に挑戦して欲しい。その独特の声質を活かせる場所はきっとあると思いますし、1年でも長く現役でという意味でだと、「吹き替え」にできるだけ早く挑戦して欲しい、そう強く抱く感じです。

 

 

 もうねえ、悔しいんですよ、自分は。繰り返しになりますけど、すわわの持っているものは、「こんなものじゃないんだ!」と。

 はっきり言って、2ndライブツアーは、すわわが主人公にならねばならなかった。そう、「MVP」は「すわわ」であって欲しかった。

 しかし、正直、名古屋公演でのすわわは、持っている全力を出し切れなかった、不本意なパフォーマンスレベルと言わざるを得ない感じでした。西武ドーム公演になり、特にあんちゃんとのユニット曲や、「Daydream Warrior」とか、自信(きっかけ)になったかな、と思う感じではありますけど。

 

 とはいえ、厳しいことをいろいろと述べるのは、それは、自分はすわわの「可能性」を高く買っているから、それ故であるのです。

 「μ’s」でも、特に、しかちゃん(久保ユリカ)は、マイクを置いて以後に、一気に飛躍した感じがありますし(今年になってからは、しばしの休息状態かなと思いますけど、「前向きな休養」と自分は解釈しています)。そのようになって欲しいなあ、と。

 

 それにそもそも、有力な「プロスペクト」でなければ、「声優グランプリ」の連載を勝ち取ることはできない訳で。

 努力はいつか、きっと報われるはず。そう強く信じている。これからもずっと、応援しています。

 だって、すわわが、大好きですから。これまでも、これからもずっと。

 

 

 (7)斉藤朱夏(しゅかしゅー。渡辺曜役)

 

 「Aqoursの太陽、元気印」。いつだって、「とびっきりの笑顔」。

 「場を明るくできる」、それ自体が稀有な才能、そう強く抱きます。

 

 しゅかしゅーといえば、「笑顔」と共に、「ダンス」。

 その「ステージ映え」は、他の追随を許さない。

 「μ’s」のくっすん(楠田亜衣奈)は、「大きく」という感じでしたけど、しゅかしゅーは、「美しく」「優雅に」という感じなんですよね。どちらも、「みとれる」感じではあるのですけど、それぞれに魅力がある感じで。

 

 思えば、くっすん。「μ’s」の「ファイナルライブ」で、「MVPを1人選びなさい」と言われたら、自分は即答で「くっすん」なのです。そう、あのときのくっすんは、「神が舞い降りた」圧巻のパフォーマンスだった。歌唱力に難があるという声も聞こえてきていたけど、大きな成長を存分に見せ付けた。少なくとも自分は、そう解釈しています。

 

 で、しゅかしゅー。特に圧巻なのが、1stライブでの「夜空は何でも知ってるの」。

 あれは本当にすごかった。何回観ても、最高に素敵。そう強く抱きます。

 

 それ以上に、2ndライブ。自分は、しゅかしゅーこそ「MVP」といえるパフォーマンスと強く感じてます。

 (純粋な歌唱面だけでいえば、あいにゃこそMVPだろう、という解釈もできるかなと思いますけど、1stからの「純粋な成長の度合い」のみでいえば、しゅかしゅーこそ「目覚ましい成長」を強く感じたのです。)

 

 

 インタビューで(このGWから3rdの間に、改めて特に分析し直そうと思っているメンバーでもあるのですけど)、「ステージへのこだわり」を、繰り返し述べています。また、ソロ歌手としての将来的な挑戦の意向も、既に示唆しています。

 自分の持ち味をよくわかっている、と思いますし、「声優」「歌手」、どちらに軸足を置くのがベターかといえば、「歌手」(より厳密には「声優アーティスト」路線)が望ましいように、自分は思います。

 

 それと共に、「舞台」「ミュージカル」ということにも、積極的に挑戦して欲しいと思っています。

 というか、「ミュージカル」こそ、しゅかしゅーが最も生きる道かもと、自分は思っているんですよね。

 

 

 そのような感じですけど、いま、自分は評価順として、7番目としていますけど、「Aqours」メンバーの人気順でいえば、トップクラス(りきゃこ、あんちゃんと「BIG3」。いずれも「2年生組」になる訳ですが)であると思うのですけど、それに比して、実質的な活動量としてはどうなのか。

 現状、申し訳ないですけど、「人気先行型」。本人はそのつもりではないと思いますし、というかむしろ、何故しゅかしゅーはこんなに扱いが軽いのか、ふざけているのか、過小評価にも程があるだろうと正直感じているほどですけど、現状、

 

 「曜ちゃん(渡辺曜)への極度の依存状態」「踊るグラビアアイドル要員」。

 

 このような状態に映ってならない、それが正直、とても気に掛かっています。

 

 「身も心も曜ちゃんと思っています」「ステージでは、渡辺曜として貫こうと思っている」

 各種の雑誌のインタビューにて、しゅかしゅーは真顔でこう述べています。確かに、Aqoursのライブ、浦の星女学院生放送とかを見ていると、それは「真」であることが、ひしひしと伝わってきます。

 

 とはいえ、現状、「曜ちゃん」を取り除いて考えたら、「ほぼ何も残らない」(先述のすわわでも、脇役なりナレーションなりの仕事はある)現状としてある。ファン感情を除外して考えたときに、どう解釈すればよいのか、どう展望を描けばよいのか、正直つかみづらい感じとしてあるのです。

 

 「プロは結果がすべて」という言葉。ここ2年くらいで、特に急速に耳にするようになりました。

 しゅかしゅーの「真価」は、だいぶあとになってから、わかってくることになるのだろうか。

 「大器晩成」。「しゅかしゅー」だからこその道を、見出して欲しい。

 

 「BLT VOICE Girls」での連載。しゅかしゅーの連載記事は、自分自身、いつも欠かさず拝読させて頂いています。これからもずっとそのつもりです。

 だって、しゅかしゅーの「笑顔」は、「生きる勇気」を自分に与えてくれるから。

 誰よりも「頑張り屋さん」のしゅかしゅーは、「絶対に報われて然るべき」なんだ。

 

 いつか、最高に素敵な「花」を咲かせる、そのときを信じて。あなたを信じている、応援している人間は、たくさんいるのだから。

 「きっかけ」さえつかめれば、「日本武道館」「横浜アリーナ」のステージは、きっと届くはず。

 経験を積むたびに、推しの度合いが上がっていく。自分にとって、しゅかしゅーは、そのような存在です。

 これからもずっと、応援しています。しゅかしゅー、大好きだよ。

 

 

 (8)小林愛香(あいきゃん。津島善子役)

 

 「Aqours」の歌姫。あいにゃがあまりにも圧倒的なので、過小評価されがちですけど、元来、歌手志望であることもあってか、その「歌唱力」は、あいにゃに次ぐ「ナンバー2」、それでいて「ダンス」も非凡なものがあり、Aqoursのライブパフォーマンスの面では、想像以上に大きな存在意義があるといえるかなと思います。

 

 基本的に、歌手一本(あるいは歌手主体)の活動になっていくのかな、と自分は解釈しています。

 声優として活動することも、今後十分あり得るでしょうけど、それは、主題歌を担当する作品であることが前提、というイメージになってくるかな、と。

 

 先程、2ndライブのMVPは、しゅかしゅーである、と述べました。

 ですけど、MVPに、あいきゃんを挙げる見解も、結構多く見掛けます。

 (自分が不参加であった神戸公演では特に、あいきゃん絶賛で溢れるTLになっていましたし。)

 

 いま、8番目に書いています。ですけど、これは「μ’s」のぱいちゃん(Pile)にもいえることですけど、本当の勝負は、ソロ歌手としてデビューしてからである、と思うんですよね。

 それに、持っている潜在能力的には、もともと自分は悲観的であった感じで。よく、ここまでクオリティーを高めているよね、と(これは、表現力の面をも含めてです)。

 SNSでのファンサービスの熱心さも、大きなプラスといえるでしょう。

 

 強いて挙げれば、シニョン姿よりも、ふつうに卸したり一つ結びにしたりする方が合うかなあ、と思う感じではあるのですけど、そう考えると、善子(ヨハネ)に最大限に近付けようという努力の現れとも思う訳で、その「プロ意識」も、称賛されて然るべきと思うんですよね。

 これからも、温かく見守りたいと思います。

 

 

 (9)高槻かなこ(きんちゃん。国木田花丸役)

 

 最大の持ち味は、その「歌唱力」であると思います。あいにゃが一目を置くほどですので、間近で聴くと、恐らく独特の素敵さがあるという感じなのでしょう。

 確かに、上手いとは思うのです。ですけど、現状、その「歌唱力」は、「4番目」であると自分はみなしています(あいにゃ、あいきゃん、あんちゃんに次ぐ、というイメージ)。上手いのかなとは思うのですけど、キャラ声かといえば、恐らく必ずしもそうではない(まだ、ぱいちゃんの方がキャラ声で歌えていた)。

 

 「場を盛り上げる」、それでいて「場を引き締める」ことができる。両方を高いレベルで対応できるところは、きんちゃんの大きな「強み」「持ち味」であると思います。あんちゃんを精神的な意味でサポートできる意味では、ありしゃと共に貴重な存在というのが、自分の解釈です。

 

 で、将来的には、「歌手一本」あるいは「歌手にウェートを置く」感じがより望ましいのかな、とは思うのですけど、きんちゃんは、長い手足をより生かして、それこそ「舞台」「ミュージカル」(特に後者)に挑戦する方がより活きると、自分は思っているんですよね(本人的には、できるだけアニメに携われるように、とは思っているかなとは想像するのですけど)。

 いろいろと経験を積むことで、「ほんとうに自分が勝負したいこと」へと生きていくのではないかな、と。

 

 そういえば、2017年の夏場あたりから、自身のことを「きんちゃん」と表現するようになった、これは、SNSでの旺盛なファンサービスもですけど、「親しみやすさ」を強く意識している、これってとても大切なことであると思うんですよね。

 

 「明るくて一生懸命」。これがきんちゃんの、最大の「魅力」であると思いますし、同じ関西人でもありますから、やはり、輝いて欲しいと強く願っているのです。特に、恐らく大好きであろう「歌」でこそ、最高に輝いて欲しい、と。

 これからも、温かく見守りたい、そう強く抱く感じです。

 

 

 まとめると、下記のような感じになるのかな、と思います。

 あくまでも、「現時点での」「私見的な」解釈(評価)ですけど。

 

 

 (図解11)自分が現時点で解釈している、「Aqours」のメンバー(担当声優)、それぞれの分野別敵な立ち位置。

 (発信力とは、「SNS、ブログでの発信力」と「インタビューでの発信力」の総合評価です。)

 (視野の広さとは、チームとして取り組むときとかに、周りのことをどれほど考えながらできているか、というニュアンスです。)

 

 あんちゃん(表現力1、歌唱力3、ライブステージ映え3、グラビア映え5、発信力3、視野の広さ1、人気3、将来性1。合計20。総合力1)

 あいにゃ(表現力5、歌唱力1、ライブステージ映え1、グラビア映え6、発信力7、視野の広さ3、人気6、将来性2。合計31。総合力2)

 りきゃこ(表現力2、歌唱力5、ライブステージ映え4、グラビア映え2、発信力2、視野の広さ6、人気2、将来性3。合計26。総合力3)

 ありしゃ(表現力4、歌唱力8、ライブステージ映え8、グラビア映え1、発信力4、視野の広さ2、人気4、将来性6。合計37。総合力4)

 ふりりん(表現力3、歌唱力別枠、ライブステージ映え別枠、グラビア映え7、発信力9、視野の広さ8、人気9、将来性7。合計43+α。総合力5)

 すわわ(表現力6、歌唱力6、ライブステージ映え6、グラビア映え4、発信力6、視野の広さ4、人気7、将来性5。合計44。総合力6)

 しゅかしゅー(表現力7、歌唱力7、ライブステージ映え2、グラビア映え3、発信力1、視野の広さ5、人気1、将来性4。合計30。総合力7)

 あいきゃん(表現力9、歌唱力2、ライブステージ映え5、グラビア映え8、発信力5、視野の広さ9.人気5、将来性8。合計51。総合力8)

 きんちゃん(表現力8、歌唱力4、ライブステージ映え7、グラビア映え9、発信力8、視野の広さ7、人気8、将来性9。合計60。総合力9)

 

 

 およそ、そのような感じです。

 では、すみません、続きを(その4)にて綴らせて頂きたく思います。