(その1)において、「『第2回1000人絶叫』への参加、及び、μ’sへの『永遠の愛』の再認識。」について述べました。
では、(その2)では、「自分自身がいま感じている、『μ’s』のメンバー、それぞれへの解釈。」について言及したいと思います。
最初に述べます。この2年くらい、「μ’s」及び「Aqours」を(微力ですが)応援し続けてきて、自分の中で強く感じているのが、
「声優≧キャラクター」
これが自分の本質的な価値観なのかな、と思うのです。
理由は恐らく、いろいろとあるかなの感じです。
(図解4)何故、自分の基本的な価値観として「声優≧キャラクター」であるのか。
(1)「μ’s」であれ、「Aqours」であれ、「この担当声優が個のキャラクターを生きている(演じている)からこそ、キャラクターも担当声優も「最高に輝ける」と感じるから。
(2)基本的に、どのような物事でも、「動態的な事象」に強い関心を抱くと実感するから。自分の場合、1回目の大学時代で政治学を学んでいましたけど、「制度的なこと(=静態的な事象)」よりも、「政治特有のどろどろ感(=動態的な事象)」の方が、より「わくわく感」を感じながら学べましたので。
(3)(2)に関係するけど、『ラブライブ!』に出会って、自分は本当はアニメは「(思ったよりも)性に合うのかな」と気付かされるから。だけど、漫画には未だに「興味ゼロ」(申し訳ないけど、『ラブライブ!』の漫画版でさえ、です)。恐らく、キャラクターが具体的に動いている姿に、自分は心を揺さぶられるのかな、と思うのです。
(4)というか漫画本は、全く読まない訳ではないですけど、買うことはまずない。時折立ち読みするにしても、目当ては「グラビアページ」の程度(ごめんなさい、「プレイボーイ」の延長線上です)。
(5)結局のところ、キャラクターの成長は「想像力」にかなり委ねられる感じとしてあるけど、担当声優の成長は「リアルタイム」で感じ取ることができる。これも大きく影響しているのかな、と。
およそ、そのような感覚としてあるんですよね。
それに自分の場合、そもそも「μ’s」に出会ったきっかけ、あるいは「μ’s」に夢中になれた大きな要因は、その「物語性」というよりは(勿論、物語自体も、「なんと素敵なんだ!」という感じではあるのですけど)、
「『音楽性』への強い共感。」
これが大きいのです。ですので、「担当声優」というよりは、一人一人の担当声優にしても、自分の中では、
「『歌手としての姿』との、ある種のパッケージ。」
そのような感覚が、正直強いのです。
ですので後述で触れるかなですけど、申し訳ないですけど、そらまる(徳井青空さん)は、ある種の「逆補正」が掛かってしまう感じなんですよね(ただし彼女の、その独特の個性、感受性は、むしろ大好きであったりします。それに、「ファイナルライブ」2日目の、冒頭のMCにおいて、うっちーが「声が出ない」で涙がこぼれた場面で、そっとなぐさめる場面は、「そらまるだからこそ」と正直感じましたし)。
まあ尤も、だからといって、いわゆる「歌唱力」だけで好感度が決まっていく感じでもない訳で、結局のところは、自分自身の「感覚」(フィーリング)、という感じなのですけど。
およそ、そのような感じですけど、では、現時点において、自分が、「μ’s」のそれぞれのメンバーについて、どう感じているのか(どのように解釈しているのか)を、言及させて頂きたく思います。
「箱推し」ですけど、推しの度合いが特に強いメンバーが、4人います(後述にて言及します)。
また、現時点での、自分が感じている「立ち位置」を考慮しながら、言及するメンバーの順序立てをしている感じであることを、御許し下さい。
(図解5)自分が現時点で解釈している、「μ’s」のメンバー(担当声優)、それぞれへの解釈(あるいは、それぞれに対して、いま伝えたいこと)。
(1)南條愛乃(ナンジョルノ。絢瀬絵里役)
いわゆる「BIG3」の一人。特に「声優アーティスト」としては、既に第一人者の一人と解釈しています(ソロ歌手としても、「fripSide」としても)。
そう、「歌姫」になるために生まれてきた。それほどに歌唱力がすごい。
「シンフォギア」シリーズの一員でもあるように、表現力も高いレベルにある。
「デジタルJ-POP」のイメージが強いけど、ソロ歌手としてはむしろ「聴かせる」スタイルが基本型かなと。
つまり基本的には「J-POP」準拠(実際、自身が作詞している楽曲が他のメンバーに比して多い)。
「水樹奈々」の後継者最有力と自分は思っていますが、むしろスタイル的には「茅原実里」に近い解釈を、自分はしています。
本人は各種インタビューを拝読しても、「声優」「歌手」同じように大切にしていることが強く伝わりますけど、とにかくいま、自分が願っているのは、「無理をしないで欲しい」こと。
膝を壊したときも悲しかったけど、声を壊すのはもっと悲しいこと。そもそも、「アニサマ2014」におけるナンジョルノとの出会いがなければ、「μ’s」との出会いは恐らくなかった訳ですし、「箱推し」である現在でも、根っこはやっぱり「ナンジョルノ推し」であり続けていると実感する訳ですし。
いつかソロライブ、是非とも参加したいと思う訳ですけど(これは他の推しのメンバーにもいえますが)、今年に入って、「脱ポニーテール」の傾向を感じていて、「大人の声優(歌手)」ということを強く意識しているのかな、と。
くだらないツイートも、最初は苦手でした。でもそれも、ナンジョルノの「飾らない人柄」の証かなと、いまでは思えるようになっていて。
そして個人的には、「いつ、(ソロ歌手として)日本武道館に到達するのか?」ということ。
技量的にも、人気的にも、いつ到達しても不思議ではない、そう自分では思っていますし、自分自身のことが落ち着いて、そして日本武道館公演が叶えば、そのときは特に、「ナンジョルノの世界」を、同じ空間で感じることが叶えば、そう思っています。
1年でも長く、歌い続けて欲しい。だって自分の中で、ナンジョルノは「永遠の歌姫」ですので。
ここ2年連続で、「南條愛乃生誕祭」は、「一人カラオケ」、しかも「ナンジョルノ関連楽曲縛り」ですので。
ちなみに今年の、「南條愛乃生誕祭2017、一人カラオケ」セットリスト。
「1.believe in myself(ソロ歌手。1stアルバム収録曲。「負けないで」を彷彿)
2.Eternal Reality(fripSide。超電磁砲楽曲。特に好んで歌ってます)
3.硝子の花園(μ’s。「のぞえり楽曲」。ありがとうPJの4th1日目、最高に「ぶち上がりました」)
4.あなたの愛した世界(ソロ歌手。「グリザイア三部作」1曲目)
5.黄昏のスタアライト(ソロ歌手。「グリザイア三部作」2曲目。特に好んで歌う楽曲ですが、なかなか点数が出せなくて、ナンジョルノの「歌唱技術」のすさまじさを実感します)
6.white forces(fripSide。「シュヴァルツェスマーケン楽曲」。独特のリズム感が大好きなんですよね。LIVEDAMで歌うのですが、これぞ「デジタルJ-POP」と実感するCGフル活用のMVがたまりません)
7.1983(fripSide。「シュヴァルツェスマーケン楽曲」。何故かこの楽曲は、不思議と込み上げる感覚があって、聴くときは涙がこぼれることもあります。勿論、それほどに大好きな楽曲でもありますが)
8.START:DASH!!(μ’s。勝負どころとなる部分で、ナンジョルノのソロパートが。自分自身を奮い立たせたいときに、よく聴いています)
9.Storm in Lover(μ’s。「えりうみ楽曲」。ナンジョルノが「歌姫」たるゆえんを存分に見せつけている楽曲の一つと自分は思っています。尤もこの楽曲は歌う自信がないので「聴く」に充てましたが)
10.Simple feelings(ソロ歌手。えりちへのアンサーソング。歌う自信がないので、この楽曲も「聴く」楽曲ですが)
11.きみを探しに(ソロ歌手。「グリザイア三部作」3曲目。「愛してる」が3回あるのですが、3つそれぞれに歌い方が微妙に異なるので、「奥の深さ」を感じます。これもまた大好きな楽曲です)
12.black bullet(fripSide。今回、LIVEDAMで歌いましたけど、水晶玉verを用いたMVで登場する少女が、不思議と心を引き付けられます[女優の大後寿々花さんに似ている。勿論同一人物ではないと思うが。ちなみに、「僕たちはひとつの光」「想いよひとつになれ」のMVで登場する、長い髪の少女も、恐らく同一人物かなと思います)
13.Angelic Angel(μ’s。ナンジョルノのセンター楽曲。南條愛乃の名実ともに代表曲の一つと思いますが、このときにはスタミナ切れを感じていたので、泣く泣く「聴く」に充てました]
14.Sister’s noise(fripSide。アニメソングの中でも「僕光」「ETERNAL BLAZE」と並ぶ「教典」です。もう、「発狂度MAX」ですので、聴く分には最高。ただし歌うスタミナはもうなかったので、「聴く」でした)
15.僕たちはひとつの光(μ’s。もはや説明不要。一人カラオケの際は、まず必ずといってよいほどに入れています)」
およそ、そのような感じですけど、やっぱり自分の中では、ナンジョルノは「永遠の歌姫」と思う感じです。
(2)内田彩(うっちー。南ことり役)
いわゆる「BIG3」の一人。「μ’s」結成当初から、いわゆる「トッププロスペクト」の一人だったと解釈していますが、『リルリルフェアリル』『けものフレンズ』の成功で、声優としての「第一人者」の地位をつかんだ、そう自分は思っています。
声優としてのみならず、歌手としても「加速度的な成長」の感じで。
2016年8月の「日本武道館」到達は、ただ単なる「μ’s」補正ではない。
人一倍の「血のにじむような努力」、及び、その「卓越した表現力」、その賜物であるように思うのです。
そもそも自分が「箱推し」になるきっかけは、うっちーの、その「一生懸命さ」。
「豊かな人間性」という言葉がありますけど、それはまさしく、うっちーのためにある。
(https://aikyujin.jimdo.com/2017/02/23/%CE%BC-s%E3%81%AE18%E4%BA%BA-%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86-%E6%B0%B8%E9%81%A0%E3%81%AE%E4%BC%9D%E8%AA%AC-%E3%81%AB%E5%87%BA%E4%BC%9A%E3%81%88%E3%81%9F%E5%96%9C%E3%81%B3-%E3%81%9D%E3%81%97%E3%81%A6-%CE%BC-s-final-lovelive-%E3%81%84%E3%82%8F%E3%82%86%E3%82%8B-%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%96-%E3%81%8B%E3%82%891%E5%B9%B4%E8%BF%91%E3%81%8F%E3%81%9F%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%A0%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%93%E3%81%9D-%E4%B8%80%E4%BA%BA%E3%81%AE%E3%83%A9%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%90%E3%83%BC%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E7%8E%87%E7%9B%B4%E3%81%AB%E6%84%9F%E3%81%98%E3%82%8B%E3%81%93%E3%81%A8-%E3%81%9D%E3%81%AE%EF%BC%93/)
上記のブログエントリーでも言及しましたけど、自分の中では、うっちーは「Twitterの女神」と思っていて。
特に、紅白歌合戦のときの、ナンジョルノが出場断念を決断したときの、一連のツイート(2015年12月29日)。このとき、「一生、ナンジョルノもうっちーも推し続けよう!」、そう強く決心しましたので。
最初は正直、苦手でした。なんだこの、キンキンした声は、と。
でも、いまでは強く思える。「うっちーだからこそできる、『味わい』」である。
そう、「批判を称賛に変える」、それをまさしく具現化してみせた。
「START:DASH!!」。あの楽曲の、「勝負どころ」の部分。
ナンジョルノ、ぱいちゃん、えみつん。確かに「μ’s」の「歌うまトリオ」です。
でも内心、正直悔しかったでしょう。
だけどいまのうっちーならば、きっと自信を持って言えると信じてる。
「あなたたちの領域に、追い付けたよ!」と。
ただ単に(こぶし、ビブラートとかの)技術だけではない。「表現力」という最大の持ち味を活かして、「声優アーティスト」としても高いレベルで勝負できるようになった、そう強く抱く。
それと、ライブのスタイルとして、盛り上がる曲が結構ちりばめられている、とも伺います。
それも、「ファン想い」の「うっちーらしさ」の現れなのかもしれないなあ、の感じです。
「田村ゆかり」を彷彿とさせる。そのような見解も、確かに聞こえてきます。
でも自分は、それとはまた違った「切り口」を感じています(勿論、よい意味で)。
無理してタイアップにこだわる必要はない。「うっちーらしく」、それを追い求め続けて欲しい。
その方が、自分としてはとっても嬉しいですので。
「ことりちゃんとして(活動を)やっているのであって、私自身がアイドル活動をやっている訳ではないから」
かつて、インタビュー記事で述べていたこの言葉。これこそ、うっちーの魅力を象徴していると、自分は思っています(そう、「うっちーのプロ意識はガチ!」ということ。「アイドル声優」など、特にうっちーに対しては「もってのほか」と自分は解釈しています)。
とはいえ、やはり、「μ’s」のメンバーとしてのみならず、いまや女性声優(及び、「声優アーティスト」)として、第一人者に上り詰めたからこそ、抱くこと、願うことはあるのです。
特に、歌手として(自分の場合、「音楽」がきっかけですので、特に強い思い入れがありますので)。
いつの日か、群馬での凱旋ライブが叶って欲しいこと。「グリーンドーム前橋」「太田市民会館」、そのいずれであれ。それが特に、「見たい景色」としてあるんですよね。
そして、うっちーの魅力は、「プロ意識」「温かくてひたむきな人間性」と共に、「表現力の引き出しの多さ」と自分は解釈しています。その意味で、
「吹き替えへの挑戦」
これを見てみたい(きっと通用すると自分は信じてます!というか、ないことにむしろ驚きと申しますか)。
「声」ということに強いこだわりが伝わる(それがうっちーの魅力とは、わかってはいますが)、そのような感じですけど、もしも本人が望むならば(あくまでも、ですが)、映像の世界でも通用し得る表現力はある、一人のファンとして、内心そう思っている感じでは、あるのですけど。
(ちなみに僭越ながら、「ヒルナンデス」の金曜日のコーナー、「三色ショッピング」で、同じ群馬県の先輩である井森美幸さんに「洗礼を浴び」つつ、「うっちーの世界」を見せて欲しい、それも、実は自分が「見たい景色」の一つであったりします。でもそれは、「うっちーらしさ」を奪うリスクもあると感じますし、あくまでも自分の妄想に過ぎない感じでは、あるのですけど。)
うっちーもまた、いつの日か、ライブに是非参加したいアーティストですけど、個人的には、「with you」(うっちーのライブにおいては、特に重要な意味合いを持つと伺う。2016年8月の日本武道館公演では、「ラスト」の楽曲でした)、及び「SUMILE SMILE」、生で聴くと、どんな景色(世界)が見えるだろう、総楽しみにしている感じなのです。
それと、Aqoursのメンバーと共演する機会があったら、その際は、「プロ意識」を伝えて欲しい、そう強く願っています(たとえ言葉ではなくとも、背中でよいですので。勿論、「Aqours」のメンバーも、「プロ意識の集団」とは思いますけど、うっちーは「プロの中のプロ」と思う感じですので)。
いずれにせよ、いつまでも「我らが大天使うっちー!」であり続けて欲しいですし、声優、歌手としてのみならず、これからも素敵なツイート、楽しみにしています、の感じですが。
(3)三森すずこ(みもりん。園田海未役)
「μ’s」のメンバーの中でも(というか、女性声優全体としても)、Twitterのフォロワー数がNo.1(なんと「100万人」の大台超えです)。
いわゆる「BIG3」の一人としてのみならず、独特の世界を提示し続けてくれる、特に「魅せる」ことは第一人者といえるでしょう。
正直、「μ’s」のメンバーの中での推しの度合いは、あまり強い方ではありません。
ですが、表現のレパートリーは、実に豊富といえる。
元来、舞台、ミュージカルの出身と伺っていますが、それを存分に生かしているよなあ、と。
誰に対しても言えることですけど、「1年でも息長く」、それが強く願うこととしてあって。
その意味で、「引き出しの多さ」(役柄のみならず、活動の守備範囲、という意味でも)は、みもりんの大きな「ストロングポイント(長所)」といえる感じで。
いま、Aqoursのメンバーと、共演する機会が少なからずあると伺っています。
特に、今年でしたか、イベントで、すわわ(諏訪ななかさん)と共演したとのことで。
すわわの、嬉しそうな表情。きっと感無量だったでしょう、すわわにとっては。
Aqoursのメンバーに対して、自らの経験を伝えていって欲しい。
いま、みもりんに対して、それが特に強く願うこととしてあります。
(4)徳井青空(そらまる。矢澤にこ役)
「μ’s」の中で唯一の、「声優一本組」。
というか、「クリエーターの才能」、といった方が適切かもしれませんね。
「μ’s」が、どのような困難に立たされても、一つであり続けられたこと。そして、「最高の高み」へと上り詰められたこと。
それは、そらまるなしにはあり得なかった。少なくとも自分は、そう解釈しています。
良く、ネットの世界で、「打線組んだ」とありますし、かくいう自分自身、野球は特に大好きです。
ですので、自分の中で、「μ’s」の「脳内打線」を組むことがあります。
このときはどう組むのがベストだったんだろう、いまだとどんな感じなのかな、とか。
ましてや、「μ’s」も「Aqours」も、「9人」である訳ですので。
そう。そらまるを「1番」に置くと、しっくりいくことが結構あるのです(必ずしも毎回ではありませんけど)。
なんだか、「切り込み隊長」のイメージがするんですよね、自分の中では。
盛り上げが実に上手。それはまさしく「天賦の才能」。
「PSYCHIC FIRE」が、特に象徴的。MCのときも然り。
それでいて、根はとても「優しい心の持ち主」。2日目の冒頭のMC、うっちー(内田彩)を突如襲った逆境、あのとき、そらまるがそっとフォローしてくれたから、うっちーは息を吹き返せた。
そう、「NO EXIT ORION」での感動の光景。あれはそらまるが陰でお膳立てしてくれていたのかな、と。
先日の、『まけるな あくのぐんだん』。
「μ’s」の「夢の続き」。それを垣間見るような感じで。
信じる道を、地道に歩み続けて欲しい。
それは、声優としてのみならず、クリエーターとして追い求めることをも含めて。
ささやかながらですけど、これからもあなたが描く「素敵な景色」、楽しみたい、そう強く抱きます。
(5)久保ユリカ(シカちゃん。小泉花陽役)
関西の星(奈良県出身)。自分も、兵庫で生まれ育ち、いまは大阪ですので、何だかんだで、やっぱり「輝いて欲しい」、そう強く抱くのです。
その一方で、フラットな感じで観たときには、自分自身の中での推しの度合いは、正直、あまり強くはない感じで申し訳ないのですけど。
なんというか、「独特な個性」を持っている感じで。それが「持ち味」であり、でも、時として「とっつきにくさ」を感じるところもあるというか。
SNSを基本的にしないこと、歌手活動も、まったりペースなことも、推しの度合いが自分の中で強くない要素の一つかも、と思ったりです。
とはいえ、「表現力」こそ大きな持ち味と思う訳で、歌うことについては、その持っている個性を考えると、「無理のない範囲で」(技術というよりは、表現力全振りの感じなので)、そう強く抱く感じなんですよね。
でもやっぱり、「輝いて欲しい」想いは少なからず強くあるのかなと思う感じで、「アニゲー・イレブン」、実はちょくちょく見させて頂いています。本当はとても明るくて、一生懸命な人間なんだなあということが伝わる感じで。それでいて、かよちん(小泉花陽)への想いを語るときとかでは、「生真面目」な一面をのぞかせる感じでもあって。
いまひとつ、向き合えていない。そのようなもどかしさの中で、この7月クール。
『ようこそ実力至上主義の教室へ』(BS11、金曜日23時)
シカちゃんは、主要人物の一人、櫛田桔梗役です(「桔梗」という名前が、いかにもアニメな感じですが)。
何故観ようと思ったかというと、シカちゃんの成長を観たいのもありましたけど、それよりもむしろ、「学園もの」がもともと好きですし(ドラマでも映画でも)、タイトルから想像するに、「あっ、面白そう」と直感の感じで。
正直、最初、「ああ、これ、例えばジブリあたりが、最も嫌いそうなタイプだなあ」と思いながら見ていました。
だけど、第3話のラスト。桔梗の、陰の一面が覗いたとき。
正直、(物語的には)ショックだった半面、シカちゃんの成長を感じ取れたんですよね。
「あっ、これが、この2年間での加速度的な成長の現れなのかな」って。
自分の中では苦労人のイメージなのです、シカちゃんは。
だからこそ、理想とする「表現者」像を追い求め続けて欲しい。
それをささやかながらでも、追いかけていきたいなあ。自分としては、そう思っています。
(6)楠田亜衣奈(くっすん。東條希役)
うっちーと共に、「μ’s」を「箱推し」にした大きな要素となった一人です。
それでいて、自分の中では、「μ’s」の「ファイナルライブ」の「心のMYP」。
あのファイナルライブのパフォーマンスは、くっすんが6年間を掛けて培ったすべてを、「出し尽くした」、いや、「持てる全力以上だった、そう、『神が舞い降りた』感じだった」、そう思うのです。
くっすんを推すきっかけになった、YouTubeの、4thライブ、「Snow halation」のライブ動画。
あのときも、「神が舞い降りた」感じでした。
よく、くっすんについては、ネガティブな評価を、ちょくちょく耳にする感じとしてあります。
「個人として成功できるのか?」という、手厳しい声までも。
まあ確かに、「ぱっと見」では、「ギャルっぽい」感じかもしれません。
実際最初は、自分自身、くっすんについては苦手でした。
でもよく見ると、「味わい」がある感じなんですよね。
だけどそれは、ちょっとディテールに心を配らないと、つかめないのかもしれない。
『リルリルフェアリル』。主要人物の一人、ローズ役に加えて、ネコ先生役もしていたりします。
ちゃんと聴いていれば、細かい表現力が伝わってくる感じだと、自分は思うのです(贔屓目なしにして)。
一見、悪役に見えるけど、本当は不器用であるが故のことだって。
それでいて、時折登場する、ネコ先生の演技。
声優だって、れっきとした「役者」。そう強く感じるんですよね。
映像の世界(女優、俳優)では、「個性派」という概念があります。
例えば、相島一之さん(わからなかったら、ごめんなさい)。
独特の「話し方」、そして「顔芸」。特に、(古いですけど)『富豪刑事』における、「こらー!勝手に帰るなー!」、あれは相島さんだからこそ成立し得る。
まあ、だからこそ、SMT(松竹系の映画館)の幕間映像。あれはプラスの意味で「大草原」でした。
えーっ、もしかして素顔、温かい人柄ってこと?って。
くっすんって、「個性派」として貴重な感じになれると思うんですよね。そう自分は解釈しています。
よくも悪くも、「背伸びしない」。それがマイナスへと誤解されやすいのかもしれませんけど。
直近のインタビューにおいて(『My Girl』vol.19より)、下記の趣旨のことを述べています。
「仕事ってまずは『好き』が大事だと思うんですよ。何をするか、何を選ぶかっていうのも『好きなもの』が自分にとっての正解なのかなって思います」
「お芝居が好きで始めた声優というお仕事なので、できれば好きな仕事で人生を全うしたい」
「『私、こういうのが好きなの。みんなも楽しいでしょ?』みたいなのを前面に出していきたいなっていうのはより強く思うようになりました」
他にもいろいろと述べていますが、自分は、このインタビュー記事を拝読して、
「ああ、だから自分は、くっすんを推し続けていたい、と思えるのかな。」
そう強く抱くのです。
これは自分自身に言い聞かせる感じでもあるのですけど、やっぱり、「好き」という気持ちこそが、仕事において、いや、何事においてかもしれませんが、「モチベーション」の最も大きな要素になり得ると思うのです。
嫌いで嫌々やるよりも、好きでやることの方が、どんなに辛いことでも乗り越えられそう、と思えるでしょ?と自分は思うのです。
そう、「等身大」。これこそ、くっすんの魅力と思うのです。
でも、「勝負どころ」はつかんで離さない。その象徴が、あの東京ドームの大舞台だった。
あと、「ジョルくす」。いろいろいわれますけど、「のぞえり」であること以上に、「永遠の盟友」なんだなあ、そう強く抱くのです(少なくとも、いわゆる「百合」は超越しているかと)。
だって、昨年10月のくっすんのライブ(さんくっすん祭り)でしたか、ナンジョルノのソロ歌手としての代表曲の一つ、「ゼロイチキセキ」を歌唱したり、今年7月のナンジョルノのBDライブに、ひょっこり乱入したり。
もう、「最高かよ」、それが正直な感覚なんですよね(すみません、「HKT48」の楽曲をもじってしまって)。
で、いよいよ、8月10日。くっすんにとって、今まで培ってきたことの「一つの集大成」であろう、中野サンプラザの公演があります(2200人程度の収容だったと記憶しますが、くっすんにとっては、自身最大規模)。
自分は参加できませんが(そして、いつの日か是非ともソロライブに参加させて頂きたい感じですが)、「最高に素敵なライブ」になって欲しい。そのように、ささやかながら応援させて頂く感じです。
(7)飯田里穂(りっぴー。星空凛役)
「μ’s」に出会ったきっかけ。第一としては、「アニサマ2014」におけるナンジョルノです。
しかし、もう一つ。最大のきっかけとなった、「Rの法則」の再放送回。
このときの、りっぴー。「こんなに大きくなって嬉しいよ…〈感涙)。」
いまにして思えば、恥ずかしい感じですけど、かつて、『プレイボーイ』という雑誌を読んでいたとき。
〈よい子は読まない方がよい雑誌かなですけど、と申し添えさせて頂きますが。)
「りっぴーは、こんなところで終わるような人間ではないはずだ!もっと輝ける、いつか報われるときが絶対に来るはずだ!」
そう強く抱いた感じだったんですよね。でも実は、このときには既に「μ’s」として勝負を始めていたことを知らなくて、の感じで。
もともと、子役出身です。自分は、声優というのは、俳優(女優)の延長炎上、という解釈を、ずっとしてきました。
それは勿論、一理ある、いまでもそう思っています。実際、子役出身の声優、あるいは映像経験のある声優は、少なからず存在していますし。
だけどその一方で、「別物」という解釈もあります。
いろいろと苦労もした、とも伺います。ましてや、メンバー最年少。
そして、子役出身であるが故に、「相応のレベルができて当然でしょ?」という重圧もあったかもです。
だけど、μ’sの「ファイナルライブ」。大人になったりっぴーが、間違いなくそこにはいた。
特に、「春情ロマンティック」、「1年生曲〈Hello,星を数えて〉」、そして、「SDS(SUNNY DAY SONG)」。
自分自身、りっぴーは「推し」の一人ですので、成長した姿、嬉しいんですよ。
だけどその後、メンバーそれぞれが、「進みたい方向性」が明確になっていく一方で、りっぴーは、ただ一人、「模索中」の感じを、自分は抱いていました。
女優、声優、歌手。あるいは、舞台、ミュージカルとかを含めて。
いずれの世界でも、勝負はできるだろう。でも、「器用貧乏」のリスクもある。
選んだ道は、「声優アーティスト」といえるでしょう。
ですが自分は、むしろ、「歌で勝負したい、そして声優としても」。そう解釈しています。
いま、μ’sで、歌手として勝負しているメンバーの中では、「盛り上げ上手」、それがりっぴーだと思っています。実際、それは楽曲にも反映されている感じでありますし(「厄介リスク」と背中合わせ、ともいえますが…)。
とはいえ、歌唱技術は、発展途上の感じでもあります。むしろ子役なりμ’sなりで培った「表現力」「話術」の方が、持ち味と思うのです。
それ自体は、それでよいと思う。でも、少なくともいえることは、
「『りっぴーらしさ』を追い求め続けて欲しい。そして、『初心忘れるべからず』。
初心を忘れたら、転落するのは一瞬。困難もあるだろうけど、初心を大切にし続けていたら、必ず道は拓けるから。」
そう強く思うのです。一つ一つ、積み重ねていくこと。そして、何事にも全力で。
いつかソロ歌手としてのライブ、是非とも参加したい(一度、観にライブは参加させて頂いたことがありますけど)。推し続けていきたいからこそ、温かく見守りたい、そして輝いて欲しい、そう強く抱きます。
(8)Pile(ぱいちゃん。西木野真姫役)
「μ’s」のメンバーの中では、唯一の「歌手一本組」。
推しの度合いは、実はあまり強くはありません。ですけど、動向を特に気にかけているメンバーでもある感じです。
だって自分自身、「音楽性」がきっかけで、μ’sの大ファンになった。
で、μ’sの中でも、ぱいちゃん、ナンジョルノの「歌姫」ぶりは、(推しの度合いはともかく)「異議なし」であるはず。
「Wonderful Rush」で、「ワーンダフール」と、真姫ちゃんが歌う場面があります。
この部分。歌い終えるや否や、すかさずのタイミングで、「ぱいちゃーん」と叫ぶ(基本、「一人コール」)。
「ありがとうPJ」では、これが「デフォルト」でした。だって、このときのぱいちゃん、最高に輝いて映るからです(陰では「厄介コール」といわれていたかもですけど、自分の「ぱいちゃん愛」が伝わっていたならば、その意味で嬉しいです、の感じです)。
2回、ミニライブに参加させて頂いたことがあります。
スタイル的には、基本、「アニソン全振り」。盛り上げ楽曲も少なくない。
自分の中では、黒崎真音さんに近い印象があります(違っていたらごめんなさい)。
「1年でも長く、歌を歌い続けていて欲しい。」
ぱいちゃんに対する願いは、この一点に尽きるのです。
そう、一年でも長い「歌手生命」。これこそが最も大切なこと。
で、12月2日。自身初めての、「日本武道館」の大舞台です。
おめでとう!そして、歌手一本で勝負してきたからこその「ぱいちゃんらしさ」を存分に見せつけて欲しい。
一人の人間、一人のラブライバー、そして、一人のアニメソングファンとして、そう強く願うのです。
(9)新田恵海(えみつん。高坂穂乃果役]
「穂乃果ちゃんが最高に輝けたのは、えみつんが穂乃果ちゃんを全力で生きてくれたからこそ。」
自分は、そう強く抱く感じなのです。
正直、能力的な意味では、例えば、ナンジョルノ、あるいは、うっちーでも可能だったかもしれません。
申し訳ないけど、えみつんは、必ずしも「トッププロスペクト」ではなかったので。
だけど、穂乃果ちゃんは、えみつんでないと、やっぱり「しっくりいかない」感じなんですよね。
アケフェスのセンター匡体にて、「じゃじゃーん!」という台詞があるのですけど、あれはやっぱり、えみつんだからこそ成立し得るのだ、と。
で、えみつんといえば、やっぱり「歌唱力」、いや、「歌う姿」なんですよね。
これは、「穂乃果ちゃん」にもいえたことですけど。
そう、「歌う姿」、それ自体が「美しい」のだ、と。
えみつんの場合、「テストの花道 ニューベンゼミ」(NHKEテレ、月曜日19時25分)のナレーションも印象的です。
(かつて、ゆーき[倉益悠希さん]、マッシュ[黒島結菜さん]、DAWA[和田彩花さん]等が生徒役として在籍していた。ちなみに、後に「A応P」の一員になった、ゆうき[広瀬ゆうきさん]も、この生徒役の一員です。ちなみに当時は生徒役は、「ベンブ部員」と呼ばれていました。
そしてこの番組自体、大好きなんですよね。学ぶことが多くて。ですので、えみつんがナレーションを務めることになったのは、なおさら嬉しかったのです。)
ですが、えみつん。「μ’s」としてマイクを置いて以後、自分の中では、最も苦しんでいる印象があります。
理由はいろいろとあるのかもしれません。それは自分には、正直わかりません。
例えば、「華があるか」は、結局は人それぞれの解釈に委ねられることになる。
ルックスのことも、然りかもしれない。でも歌手であるならば、本来は技量勝負であって然るべきはず、そう自分は思うのです。
だけど自分は思うのです。誰よりも人一倍、努力をし続けてきたのは、えみつんに他ならない。
確かに自分だって、「穂乃果ちゃん」は超絶大好きである一方で、えみつんの推しの度合いは、必ずしも強い訳ではありません。
ですが、だからといって、やっぱり穂乃果推しでもある訳で、えみつんには、やっぱり「最高に輝いて欲しい」、そう強く抱きますし、「いわれなき批判」は、やっぱり看過できない、それが正直な感覚なのです。
そう、言っていいことと悪いことがあるでしょう?と。「いわんとすること」が伝わればの感じですけど。
そのような感じですけど、くっすんのライブが、8月10日にあります。
ですが、その直前。えみつんのライブ。8月8日、9日の「2days」。
そう。会場は、えみつんも、くっすんも、「中野サンプラザ」。
(尤も、くっすんは「ツアーのファイナル」。えみつんは「中野の一点集中」。)
誰が何と言おうとも、えみつんは、歌っているときこそが、誰よりも最高に輝いている。
特に、「探求Dreaming」。エールをもらえる楽曲で、好きな楽曲の一つです。
今度は、自分たちファンが、えみつんにエールを与えるとき。
そう、「1年でも長く、歌手として勝負できる」、そのために。
だって、歌っているえみつん、その姿こそ、大好きだから。
うまく伝えられずに申し訳ないですし、気が付けば、「『μ’s』へのメンバー、それぞれへの『解釈』」ではなくて、「心の手紙」になってしまいましたね。僭越な感じで、申し訳ないですけど。
では、すみません、続きを(その3)にて綴らせて頂きたく思います。